3.2 ヒトの理屈はいつだって論理的?ーー交換と安全の論理
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先行研究では「4枚カード問題」を用いると、ロジック推論課題では大学生参加者の正答率が20%しかないのに対して、社会契約または予防措置の文脈での推論課題では正答率は75%にも上っている フィディックは進化の視点からこの矛盾を分析し、コスミデスの社会契約理論から出発し、ヒトの推論能力は、身体的能力と同じように進化の過程で、特定の適応問題(例えば、社会的交換と契約の中での嘘の見極め)を解決するためにデザインされているものと考えた 実験の結果はこの仮説を支持した
4枚カード問題の参加者は、自覚的に嘘を見つけることができた
このような互恵的な社会的交換を保証するために進化した見極めの能力は、特定の認知的モジュールに基づくべきだという考えから、フィディックは関連トピックの研究を行っている
進化心理学にはいくつかの異なる学派があるが、私がサンタバーバラ学派の適応主義者の系譜に連なっていることは隠しようのない事実 学部生だったときにメンターだったチャールズ・クロフォード(Charles Crawford)は当時立ち現れつつ合った新しい進化心理学の初期の支持者だった マーティン・デイリー(Martin Daly)、マーゴ・ウィルソン(Margo Wilson)、デヴィッド・バス(David Buss)も進化心理学の発展に重要な役割を果たしたが、進化心理学という新しい研究プログラムの方向性を描き出したのは、コスミデス、トゥービー、そしてサイモンズだった(Cosmides & Tooby, 1987; Tooby & Cosmides, 1989; Symons, 1987, 1989) コスミデス自身の博士論文によって提案されたのは、「人々は、裏切り者検知専門のメカニズムーすなわち、相互交換を行っている中で『裏切り者がいるかもしれない』という可能性に直面した時に働くメカニズムーを持っているのだ」ということだった(Cosmides, 1989)
ウェイソン・カード選択課題に、互恵的交換(本稿では社会的交換と記述される)を埋め込むと、それは社会契約のルールーすなわち、「もしあなたが利益を得るならば、あなたはそのための必要条件を満たしていなければならない」ーという形をとることになる 事実の状況を述べているだけの条件つき命題からなる選択課題では、通常、10%未満の参加者しか正解しない
しかし、コスミデスは、ルールの侵犯(「利益を得る」かつ「要件を満たしていない」こと)が裏切りをを意味する社会契約版の選択課題では、参加者の過半数が正解することを示した
彼女はこの結果を、特別な目的を持って進化史た「裏切り者検知」メカニズムが存在する証拠と解釈した
しかし、1992年の時点ですでに問題が明らかになっていた
人々は社会契約ルールの侵犯を検出するのが得意なだけではなく、予防措置のルールの侵犯を検出するのも得意なことが示された(例えば, Cheng & Holyoak, 1989; Manktelow & Over, 1990)
予防措置、あるいは安全のルールは「もし危険が迫ったら、自分を守る行動をとらなければならない」という形式をとり、ルールの侵犯は裏切りを意味しない
この結果は、一見、人々が単に裏切り者を検出する能力を持っているだけではなく、義務や許可に関する推論という、より一般的な、義務に関する推論の能力を持っているのだという、領域一般的な立場を支持するもののようだった しかし、コスミデスの選択課題の分析は、そもそも「人々が裏切り者を検出できる能力だけを持っているはずだ」ということを意味するものではない
事実、彼女は「実証的な証拠として、成績が向上した唯一の選択課題は社会契約を含んでいた」とは述べているが、これは「社会契約版の選択課題のみが選択課題の成績を上昇させる」という主張と同じではない
その当時のコスミデスとトゥービーの考えは「危険は、社会契約とは異なる適応課題であり、それに対処するために獲得された心理的適応もおそらく社会契約への適応とは異質なものだろう」というものだった
この考えは、人々は社会契約と危機管理に関して異なる認知的適応を持っているのだという、現在の我々の考えにつながるもの(Fiddick, Cosmides, & Tooby, 2000)
社会契約と予防措置の乖離に関する初期の証拠
実際にこうした見かけの類似性に反して、社会契約と予防措置に関する推論が異なる神経認知メカニズムによるものであることを示す、多くの証拠がある
そのような最初の証拠は私の博士論文(Fiddick, 1998)に示されている
私は反復プライミング法を用いて、社会契約と予防措置に関する異なる推論を切り分ける事が可能であると示した 実験参加者は、社会契約の課題を先に解いている時には、予防措置課題を先に解くときと比較して、より正しく社会契約の推論をすることができた
反対に、先に予防措置課題を解いていた場合には、社会契約課題を先に解いたときと比較して、より予防措置課題をうまく解くことができた
また社会契約に関する推論はルールの侵犯が偶然起こったのだと記述されるかどうかに影響されやすい一方で、予防措置に関する推論はそうではないことを示した(Fiddick, 2004)
社会契約ルールの侵犯は第三者としての怒りの反応と関連しているのに対し、予防措置ルールの侵犯は第三者としての恐怖の反応と関連していることを示した
これらの知見はその後、オーストラリア、イギリス、インド、日本、シンガポールの参加者で追試され(Fiddick et al., 2009; オリジナルのFiddick, 2004の参加者はドイツ人)、また4歳児に対して行った実験でも同じ結果が得られた(Pooley & Fiddick, 2010)
さらに、道徳の発達に関する研究では、基準判断(criterion judgments: Turiel, 1983)として知られる方法が、異なる領域のルールに関する推論の反対のパターンを区別するのに非常に効果的であることが示されている 例えば、エリオット・チュリエル(Elliot Turiel)と彼の共同研究者達は、小さな子どもたちに質問をした 子ども(と大人)が義務ではない社会的慣習と義務である道徳ルールを見分けていることを示す質問
手を挙げて質問しなくてもよいかどうか
通常、どんなに小さな子どもでも手を挙げなくても良いと答える
他人の髪を引っ張ってもよいかどうか
それは悪いと返す
道徳的な義務の基準の境界を定めることに着目する、こうした多様な質問が提示される
私が同じ方法を用いて大人を対象に予防措置のルールと社会契約のルールについて検討すると、彼らは予防措置のルールの方が「より義務的である」と判断した(Fiddick, 2004)
この知見は、オーストラリア、インド、シンガポールといった異なる文化の参加者でも追試された(Fiddick, 2007; オリジナルのFiddick, 2004の参加者はドイツ人)
社会契約と予防措置ルールの乖離に関する神経学的証拠
Stone et al.(2002)は両側眼窩野および扁桃体に損傷を受けた神経症患者R.M.の結果を報告している 神経学的に正常な、あるいは他のの部位に損傷を受けた患者の統制群と比較して、R.M.は社会契約の推論に選択的に障害が見られ、予防措置の推論には障害が見られなかった
続いて行われた一連のfMRI研究でも、すべての研究が、社会契約と予防措置に関する推論の際には異なる脳部位が活動していることを示した(Ermer et al., 2006; Fiddick, Spampinato, & Grafman, 2005; Reis et al., 2007)
前述した感情に関する結果と一致して、社会契約ルールの侵犯に関する推論をしている時には、怒りとの関連が指摘されている(例えば、Sprengelmeyer et al., 1998)両側のブロードマン47野の活性化が見られた一方で、このような活性化は予防措置ルールの侵犯をしている時には観察されなかった(Fiddick et al., 2005) さらに、内側前頭前皮質も、予防措置に関する推論よりも社会契約に関する推論で重要なようだった(Fiddick et al., 2005) 先行研究はこの部位が心の理論課題で活性化することを示しており(例えば, Fletcher et al., 1995)、このことを踏まえると、社会契約に関する推論がルールの侵犯が意図的か否かに左右される(Fiddick, 2004; Cosmides, Barrett, & Tooby, 2010)のに対し、予防措置に関する推論にはこれが当てはまらない(Fiddick, 2004)という知見と、この研究結果は一致していると言える 3つのfMRI研究すべてを通じて、参加者が予防措置について推論を行っている時には、決まって帯状皮質が活性化していた このことはヒトのリスク評価に関するfMRI研究(Qi & Han, 2009a, 2009b; Qin et al., 2009; Vorhold et al., 2007)や、ネズミの遠隔文脈的恐怖条件づけ(Frankland et al., 2004; Liu, Zhang, & Li, 2009; Zhao et al., 2005)、また、一説に予防の心理メカニズムの機能不全であるとされる、強迫神経症患者を対象とした症状誘発パラダイムによるイメージング研究(Szechtman & Woody, 2004)などの研究と一致した結果であり、帯状皮質が潜在的な脅威に対する反応の神経学的基盤であることを示唆している(Fiddick, 2011) 社会的交換と危機管理のそれぞれに対応する異なる認知的適応の存在を支持する神経学的証拠には、異議が唱えられることもあった
Buller, Fodor, &Crume(2005)は「裏切り者検知は何も特別なものではなく、義務か義務ではないかという推論が関連しているのだ」という初期の反論を蒸し返し、予防措置は単なる勧告であって義務ではないが、社会契約は義務であることを主張している
ここまで示してきた神経学的証拠のすべてが示しているのは、義務の推論が通常の命題的推論とは異なるという、論理学者が長く受け入れてきた区別である、という
実際には人々が予防措置のルールを社会契約よりも義務的だとみなすことを示す証拠がある(Fiddick, 2004, 2007)ので、このような主張は通用しないだろう
私の研究の将来の展望
不安障害の存在は、それが予防措置に関する審理メカニズムの本質に豊富な洞察を提供するという点で、私の研究と非常に関連している 例えば、今ある脅威と潜在的な脅威に対処するのには、異なる神経認知システムがあるようだ(Fiddick, 2011)
それゆえ、不安障害を持つ患者たちが、予防措置に関する推論を広く構成するものに普通とは異なるパターンを示すかどうかに興味がある
多くの理論家が強迫神経症の鍵は進化的な領域特化型の予防措置に関する審理メカニズムにあるとすでに提案しているという点で、強迫神経症は、研究の出発点として、一つの有望な対象のように思う(Boyer & Lienard, 2006参照)
最近は個人差研究にも関心を持っている
気まずさを感じるのは、進化心理学におけるサンタバーバラ学派の特徴の一つが、個人差の重要性を僅少とみなすことだから
ある特徴は、その特徴が有利である範囲で、均衡に至るまで集団全体に広がると予測される
したがって、残された個人差は、非適応的なノイズ
神経疾患や発達障害の患者もこうした非適応的なノイズに含まれるが、だからといってこのような状態を研究することが無意味なわけではない
進化し、よく組織化されたシステムの中に取り残された非適応的なノイズは、そのシステムの性質や構成要素について有用な手がかりを与えてくれる
したがって個人差研究の一つの見方は、最適な機能状態からの臨床診断に至らない程度の逸脱に関する研究としてとらえること
個人差研究は、資金をかけずに認知神経科学を行う手立てであるだけではなく、人口分布の両端に存在する、他の方法では発見できないような神経学的な障害を見出すことで、臨床的意義のある知見を提供できる可能性を秘めている
現在のところ、私は個人差に関連する研究を二つの方向で進めている
社会契約と危機管理に関して、決まったパターンの個人差があるかどうか検証する
ブレイズと私は、社会契約のルールと予防措置のルールを侵犯しようとする傾向が個人の中で異なるかどうかを検討している 今までの結果は、社会契約のルールを破る傾向と予防措置のルールを破る傾向とがあり、それらは区別できることを示している(Fiddick, 2010)
もしこのような傾向があるとすれば、今ある個人差尺度、例えば性格特性質問紙などで、この傾向がとらえられるかどうかを検討する
私達はAshton & Lee(2007)の人格の6因子モデル(HEXACO)が、第三者として知覚した社会契約と予防措置のルールを審判する傾向の個人差を、かなりよく予測することを発見した この研究は異文化間で行われ、オーストラリア、インド、日本、シンガポールの実験参加者達が、社会契約のルールを侵犯する傾向を「正直さー謙虚さ(honesty-humility)」の低さと、また、予防措置のルールを侵犯する傾向を「誠実性(conscientiousness)」の低さと関連すると捉えていることがわかった(Fiddick et al., 2008)
今進んでいる研究では、この研究と対応した、自分自身の人格評定が、自分自身の社会契約ルールおよび予防措置ルールを侵犯する傾向についての評定地を予測するかどうかを検討している
また、大きなサンプルの中で、これらの傾向の分布の両端にいる人々が、社会契約と予防措置について異なるパターンの考えを持っているかどうかを検討している
進化心理学の将来の展望
進化心理学が直面している問題の一つであり、また将来の大きな進展が見込めるものは、進化心理学の射程の再定義
理論的に進化心理学に説明できることは、自然淘汰によって形作られた心理メカニズムに限られている
自然淘汰によって、複雑で機能的に組織されたシステムが生じるにはたくさんの世代を要するので、進化心理学の焦点は過去の適応課題ーつまり、自然淘汰が適応的な解を作るのに十分な時間があったような遠い過去の問題ーになる(Tooby & Cosmides, 1990)
しかしながら、現代の人間は、ヒトの祖先が暮らしていた環境と非常に異なる環境に存在している
連続性はあるが、それでも違いのほうが圧倒的
この問題について進化心理学者はあまり関心を払ってこなかったが、認知人類学者(Sperber, 1994)や認知発達学者(例えば, Carey, 2009)、認知神経科学者(例えば、Dehaene &Cohen, 2007)たちは取り組んできた 答えは単純なことに自然淘汰がわれわれに与えてきた心的メカニズムを転用し、その用途を拡張することで、帳尻を合わせてきたというもの
どうしてこの事が重要なのか
転用と拡張のプロセスによって取り扱えるものと、進化的説明を必要とするものとを選別する助けになるから
コスミデスの裏切り者検知の知見では、彼女は相互関係のある二者間での交換と、いわゆる社会的法と呼ばれる二つのシナリオを採用していた
しかし、彼女が説明の基盤としていた進化理論が適切に適用できたのは、相互関係のある二者間の交換のみだった(Axelrod & Hamilton, 1981; Trivers, 1971)
飲酒の年齢のルールのような社会的法は、現実の交換を含んでいない
それらは、コスミデスの説明のもととなっていた進化理論の射程外にあった
Cheng & Holyoak(1989)は、このことを素早く指摘し、理論に反する証拠とした
しかし、もしメカニズムの適切な領域ーそのメカニズムが動作するように作られた、そもそもの入力領域ーと、メカニズムの実際の作動域ーメカニズムの入力制約に適合し、適切な入力情報として扱える領域(Sperber, 1994)ーを区別できるとするならば、社会的法を裏切り者検知の進化的説明に強制的に入れ込む必要はない
社会的法は相互交換を扱うために進化したメカニズムが転用され、拡張された領域の一部なのだ
転用と拡張の説明に補完されることによって、進化心理学の関連領域は非常に広がるから
あるメカニズムを転用し、拡張させた用途の中に、本来のメカニズムのデザインの何らかの証拠が見られる限り(そして実際、そうした証拠は存在する: Dehaene & Cohen, 2007)、本来のメカニズムが備えるデザインの進化的な成り立ちに関する研究は、現在ある新奇な機能に対しても、価値ある洞察を提供することができる
さらに転用と拡張の過程は、個人の一生を通じて発達的に発生する(Carey, 2009: ただし、より長期間の、文化進化過程によってなされることも可能)ので、どのメカニズムが何のもう的に転用されるのかは、個人差・文化差によるところが大きくなる(Sperber & Hirschfeld, 2004)
転用ー拡張理論によって保管された進化心理学は、進化によって形成された人類に共通の本質的特徴に基づいた、真の文化相対主義を説明することが期待できる 言い換えると、進化心理学の展望として私が見ているのは、文化心理学(例えば、Shweder, 1991)や、より一般的な社会科学におけるポストモダニスト的な理論体系(Rosenau, 1992)との最接近